PROJECT INTERVIEW vol.3【荻窪おたがいさま食堂 】
自分のできることを、自分が「楽しい!」と思うペースで無理のない形で続ける。気づけば、そんなことが自分の住むまちや、出身地の役に立っていた。そんな個々人の生き方が繋がっていけば、新しい暮らし方や地域との関わり方が見つかるかもしれません。地域やそこに住む人との時間を共有することを楽しんで、丁寧につなげたり、続けていく。そんな等身大の活動である「荻窪おたがいさま食堂」運営メンバーの岡さんに話を伺いました。
- 「荻窪おたがいさま食堂」とは
荻窪に住む4人が始めた「おたがいさま食堂」。誰でも来ることができ、好きなものを作ったり持ってきて、そこにいる人大人も子供もみんなでワイワイ食べる企画。月1回のペースで荻窪のコワーキングスペースにて開催中。毎回テーマやお料理を変え、最近では「だしの取り方」や「サルベージ」など、参加者からテーマの持ち込み企画も増え新鮮な学びの企画も。「食べる」をきっかけに、ゆるやかなつながりが生まれる場所になっている。
- 「地域」のことを考えるようになったきっかけは何ですか?
岡: ショッピングセンターの開発を行う今の会社で、人事異動があり阿佐ヶ谷の駅ビルの現場配属になりました。それまで携わっていた新規開発の仕事とはギャップがあり、配属された時、最初は仕事に対して全くイメージがつきませんでした。ただ、異動前に携わっていた仕事は案件の規模が大きい反面、自分自身がやったと思えることはどうしても弱くなってしまうなと感じていて。阿佐ヶ谷で働くようになってから、現場だからこそ「せっかくなら、ここでしかできないことをやろう」と思い始めました。
その時ちょうど、会社として”地域とつながる情報誌”を作る動きがありました。ショッピングセンターである以上、お買い物の場所を提供することが第一だけれど、すぐ値引きをしたり安売りすることとはちょっと違う「価値」を提案したかった。そして、阿佐ヶ谷なら地域の魅力を通じて提案できるんじゃないかと思いました。情報誌には、地域の暮らしに寄り添いたいという想いから「CLaSO(クラソ)」という名をつけました。ネーミングに自分のアイデアが採用されているので、密かに愛着を覚えています(笑)。
でも、働いてみてすぐ感じたのは、自分は地域の暮らしに寄り添うと言っているのに、阿佐ヶ谷周辺に知り合いがほとんどいない、、、ということ。そんな中、ファンタジスタメンバーがつながりのある高円寺の小杉湯の平松さんを紹介してもらい、思い切って地域コミュニティに飛び込んでみました。
銭湯はまさに、地元の人たちの交流の場。小杉湯は銭湯の中でもクリエイティブな銭湯で、お風呂屋さんとしての営業だけでなく、空いている時にはイベントを開催するような銭湯でした。銭湯はただのお風呂じゃない。これは「場」としての銭湯なんだ!と。とにかくそれに「面白い!」と興味を持った私は、自分の勤める駅ビルも”まちの銭湯のようなショッピングセンター”になりたい、そう思ったんです。
そんな思いもあり、発行する情報誌「CLaSO」には、「あさがやCLaSOコミュニティ」という独自の地域コーナーを設け、早速その特集で平松さんを取材しました。銭湯は音が響くからクラブのようにして音楽を楽しんだり、水を流せるから水で消えるクレヨンで銭湯の壁に目一杯絵を描いたり。自分自身もイベントに参加して、地域の方たちと接しながらその地域のことを学べていった気がします。
その後も、働く中で阿佐ヶ谷の地元とのご縁は続き、まち歩きをしながらその地域の不動産を紹介する「阿佐ヶ谷ディスカバリーツアー」を記事にしてみたり、駅ビルで阿佐ヶ谷の小道具屋さんの商品を取り扱ってみたりと、良い感じにコラボレーションの連鎖が広がっていきました。
- 岡さんのアクションは、自身が関わる地域を大切にしているように見えます。以前、地元広島のプロジェクトも立ち上げていましたよね?
ちょうど30歳になった時、出身の広島の中高一貫校の同窓会が東京であったんです。30歳=還暦の半分、ということで「半還暦の会」として開催。東京開催なのに、同級生の半分くらいが集まりました。そこで、改めて「私たちのほとんどって東京にいるけど、自分たちのルーツって広島県、そして備後地方にあるよね」、自然とそんな話になったんです。自分たちも、あと倍生きれば60歳。なんとなく折り返し地点なのかも、そんな感覚になりました。地元より都会が面白い!と思って出てきたけど、30歳になって振り返ってみたら、自分たちの本来のルーツは備後にあるはず、もっとそのルーツを大事しなきゃと自然と感じたんです。そんな中、「自分たちができる、地元のためになることは何かないか?」という話があがって。そこで「備後のギフト」という企画が生まれました。
備後地方の「いいもの」をカタログギフトとして購入できるサイト「備後のギフト」。同級生3人と後輩1人の4人で事務局を立ち上げました。地元カンパニーという会社で地方のギフトを募集していることを知ったので、基本の仕組みはそのプラットフォームに乗せて実現させました。事務局と共感してくれた方々と共に、「誰かに薦めたい備後のいいもの」を出し合って総選挙を行い、そこから10品に絞り出品交渉と取材を行いました。楽しみながら、地元のためになることがしたいな、と思ったことから生まれたパワーでしたね。気づけば、仕事以外でも、「地域のために」そんなことを考える機会が増えていきました。
- 阿佐ヶ谷、備後の活動に続いて、「荻窪おたがいさま食堂」をはじめた理由は何ですか?
岡: 阿佐ヶ谷勤務だったこともあり、中央線沿線の住みやすさや雰囲気に惹かれて荻窪に家を買いました。それまでは賃貸だったこともあり、仮の住まいで面白そうなところに住んでみようという気持ちが強かったのですが、家を買い、ここからここに腰を据えて家族で住んでいくんだと思った時に、地域の人と関わりあって暮らすというのが自分にとっても未来の家族にとってもいいんじゃないかと感じました。
そんな中、阿佐ヶ谷のまちを取材するうちに知り合っていた、N9.5の齋藤さんが「阿佐ヶ谷おたがいさま食堂」という、料理を作って地域のみんなで一緒に食べる、そんな会を主催していました。そのコンセプトに共感し「これを荻窪でもやりたい」、そう思いました。そこに集まった荻窪でもやりたいと手を挙げたメンバーで、「荻窪おたがいさま食堂」をはじめることになったんです。
- 実際に開催してみて感じたことは?
会場が子連れママのためのコワーキングスペースということもあり、当初、参加者はママが大半。私はあまり子どもと接する機会がなかったので、正直最初はその環境になかなか馴染めないところがありました。もっといろんな方に来てもらいたいという思いもありました。続ける中で、メンバー同士思うことを言い合って、やり方を工夫したことで、ママ以外の人や男性も参加してくれるようになりました。徐々にいろんな人が顔を出しやすい雰囲気になってきたように思います。最近では、以前参加してくださった方が「だしの取り方」の講師をしてくださったり、運営メンバーになりたいと言ってくださる方がいたりと、様々なつながりや発展の形が生まれています。参加者それぞれを尊重しながら、各々のライフスタイルを理解し、ただ場を共有して「続けること」が大切だなと感じています。
- 今後「荻窪おたがいさま食堂」が、”こうなったらいいな”と思うことはありますか?
例えば買い出しから一緒に参加するとか、手伝うとか、シンプルだけどそんなところから参加者と作っていきたいなと思っています。「荻窪おたがいさま食堂」は、決して「誰かが与えて、誰かが受け取る」という会じゃないんです。みんながそれぞれ持っているものを出し合いながら、できたものをみんなで受け取る。綺麗に運営しようとすると、つい「あ、これを用意しなきゃ」「あれも準備しなきゃ」となってしまう。そうではなくて、来てくださる全員でつくるような場になったらいいですね。
地域の人から見ても、「よーし、荻窪おがたいさま食堂に行くぞ!」と、そんな気合いを入れてくるのではなく、暇なときの暇つぶしになるものが近所であるから行こう、くらいの軽い気持ちであってもいいと思っていて。ゆるやかに気負わずに参加できるものであってほしいなと。誰かの無理がないと存在し続けられないものではなくて、すべてが自然に回っていくもの。「食べること」をきっかけに、それぞれができることを、自然な形で続けて共有する。地域の中でそんな存在に育ってくれればいいなと思っています。
岡 志津(Shizu Oka)
広島県福山市出身、(株)セガにて空間デザインの仕事に携わり、現在は(株)ジェイアール東日本都市開発にて勤務。本社にて新規ショッピングセンターの開発の仕事に関わった後、JR阿佐ヶ谷駅の駅ビル「Dila」「ダイヤ街」の担当へ。まちを実際に歩き、遊び、取材しながら阿佐ヶ谷に暮らす人々と関わり、地域の魅力を発信。現在は本社にて勤務しながら、阿佐ヶ谷エリアを中心に自分の「面白い!」と思えることをベースに楽しい仕掛けを準備中。
取材・文 / 大久保 真衣
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