チームファンタジスタは2013年からスタートし、2022年には10年目を迎えました。毎月開催している「F-MTG(ファンタジスタミーティング)」は、2021年11月で記念すべき100回に達しています。
今回は100回に合わせた特別企画「“遊ぶように働き、働くように遊んだ"わたしたちの軌跡」と題して、ファンタジスタメンバーのインタビューをご紹介します!
第5弾は、宮下杏子(みやした きょうこ)さん。もともと会社で都市開発のハード面の仕事に携わっていましたが、社内外で活動を広げるうちにまちづくりのソフト面も含めて手がけるまでに。マルシェの主催からまちの構想まで、あらゆる視点でまちに関わる宮下さん。さまざまな活動やコミュニティにさりげなく飛び込み、気づけばまちに住む人とともに一緒にありたい暮らしを叶えている様子。あらためてこれまでの取り組みや、これから大切にしたい思いについて聞きました。
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こんにちは!宮下杏子(みやした きょうこ)です。好奇心が赴くままに様々な場所に潜り込むことから「絶妙な距離感で、人の心と新しいコミュニティに飛び込む探偵」という肩書きを名乗って活動しています。興味のあることに向かって社内、社外共に活動しているうちに、現在の会社の仕事でも、異動4部署目で「やりたいこと」に近づいてきました!今日は、そこに至るまでの軌跡とこれからについて綴りたいと思います。
“社内外で活動しまくる"チームファンタジスタとの出会い
私は、現在入社10年目。「心地よいくらしづくりを目指して、地域と連携したまちづくり」を推進する部署で働いています。
社会人生活を振り返ってみると、チームファンタジスタのメンバーと出会った2016年があったから、今があると思います。やりたいことに向かって仕事でもプライベートでも動けるみんなに出会ったことをきっかけに「本当は自分は何がやりたかったんだろう?」と真剣に考えるようになりました。
旅行が好きということもあり参加していた、魅力ある地域のヒトに会いにいく「イキダネ!プロジェクト」。プロジェクトを通じてまちの歴史や文化に触れ、熱中していることへの姿勢を見聞きしていました。そのうちに、少しずつ自分が興味関心のある分野や、深めてみたいことへの気づきにつながったと思います。
▶︎宮下さんの2020年のインタビュー「このままでいいのかな、という気持ちを紐解き、手探りで動く。”楽しさ”の追求を原動力に、じわじわと未来を変えていく」はこちら
いきいきと暮らす人と、住んでいるまちで出会いたい〜軒先から、こんにちは〜
チームファンタジスタに参加するようになって3年目。2019年の合宿での「自分の原体験からやりたいことを掘り下げるワークショップ」では、ようやく「やりたいこと」に加えて、その先の「つくりたい未来・社会」まで考えられるようになりました。
私が取り組みたいのは、老後になって自分の好きな物、空間、街、そして人が見つかっていて、そばに在るように生きていく暮らしや社会づくり。それを叶えるためにやりたいことのひとつとして、地方のいいものを都市に住む人に発信したいのだということに辿り着きました。
(写真は長野県小諸市でのひととき)
そんな思いが実際に企画として実現することができたのは、「まちのインキュベーションゼミ」という「自分ごと・自分たちごとで暮らしを豊かにする事業の創出を目指すゼミ」に思い切って参加した時でした。
このゼミでは、「これからの、家と庭」というテーマにビビッときた人たちが集まり、プログラムの最初に、自分のアイデアを形にしたい人がプレゼンをします。そこで「長野のいいものを東京に住む人に発信したい」と伝えたところ、幸運にも、私のやりたいことに共感してくださったメンバーがいたことから、そのメンバーと共にチームで実践する機会に恵まれたのです。
そんなテーマからヒントを得て、自宅の軒先で実際にやってみるのはどうかと思いつきました。さらに、自分の好きな物や事を一同に発信する機会にして、複数の軒先に各々の想いが発する場が現れたらより楽しいのではないか!と構想し、家の軒先で各々がいいなと思えるものを発信する「軒先から、こんにちは」というイベントを企画しました。
イベントでは、自分の家も含んで約500mの円に収まる地域内で、プチ断捨離のフリーマーケット、革やタイルのものづくりワークショップや物販ショップなど、9つの軒先に12店が集まりました。
私は、友人が住んでいることがきっかけでつながりがあった長野県小諸市のものを扱いたいと考え「福井りんご園」さんのプルーンやジャムを仕入れました。ただ「もの」を届けるのではなく、小諸の”暮らし”や”ものが作られる背景”もお届けすること。例えば、生のプルーンは長野では家の木に成っていて、当たり前に食べられていることなどを伝えながら、自宅の軒先にいらした方との会話を楽しみました。
(「軒先から、こんにちは」の当日の様子。右上の真ん中に座るのが宮下。)
小さなアイディアが、まさに「まち」を巻き込む企画になったこの企画。
ここまでやりきれたのは、地元に精通した大家さんやまちに開く意欲のある工務店のみなさん、ゼミメンバー、出展者さんの共感と協力のおかげでしかないと思っています。参加した方からは、「次、いつにしますか!」という声もいただくほど。構想が実現した喜びもさることながら、今後も付き合い続けたい人との関係が住むまちに見つかったことも、嬉しいことでした。
▶︎リンジン - NEIGHBOR MAGAZINE -
歩きたくなる高架下を目指す活動〜阿佐ヶ谷・高円寺プロジェクト〜
そんな活動を社外でも続ける中、仕事にも変化がありました。
2020年に、心地よいくらしづくりを目指して、地域と連携したまちづくりを推進するために新設された部署「くらしづくり・まちづくり室」へ異動になりました。既にまちの人たちと高架下を面白がっている、チームファンタジスタメンバーの岡志津さんとも同じ部署になり、「これはもう楽しみでしかない!」と思いましたね。
私の最初の配属は、駅ビルのリニューアル設計や工事の調整をする部署。ハードをつくる部署からまちのソフト面を考える部署に異動するという、周囲からは一見真逆の仕事のようにもみえたと思います。けれども、そこは私の中ではつながっていました。
実は大学では、建築計画を専攻する中で空間の中で人がどう活動するかを考えていましたし、2018年からは南池袋公園で開催している「イケブクロリビングループ」にボランティアスタッフ(キャスト)として参加していました。もともとは「どのようにまちの日常を彩るか」ということにも興味があったのです。
プライベートの活動についても、オープンに社内のメンバーに対して話していたこともあり、徐々に会社の仕事もそれに近づいていったように思います。
よりやりたいことに近づいた今の仕事で、まちに対して最も近くで取り組んでいることは、「阿佐ヶ谷・高円寺プロジェクト」です。私は同プロジェクトにも事務局としてかかわり、取り組む社員を支えています。同プロジェクトの目標は、高円寺×阿佐ヶ谷映画祭、高架下芸術祭などの企画を開催しながら、「歩きたくなる高架下」を目指すこと。イベントをこちらから企画するだけでなく、2021年には「高架下空き倉庫」での「高架下お試し利用」も開催するなどしました。参加するだけではなく、実際に使ってみたい!そう思ってもらえる人との出会いも、とても貴重な経験となりました。
(活動拠点である高架下空き倉庫の様子。2022年3月に地域のみなさまと高架下空き倉庫での活動をイメージしたイラストをシャッターに描きました。)
まさに直接「まち」や「まちの人」と向き合うような仕事を手がけてきた昨今。そんな取り組みのひとつひとつに役立っているなと感じるのは、実は個人で経験した「軒先から、こんにちは」の主催者経験。企画、運営それぞれの段階での主催者の悩みがリアルに想像できるようになることで、利用する相手に寄り添って考えられるようになったことも仕事に活きているな、と嬉しく思います。
今後も高架下をまちの人に使ってもらいながら、歩きたくなる高架下を目指した企画を実施していきたいですね。
イベントにとどまらず、現在は会社内でいきいき働く社員とまちの人との取り組みを紹介する「くらまちラボ」というメディアの運営もしています。取り組みの背景や想いがわかるので、記事が仕上がるたびに「またいい記事ができてしまった!」と自分自身で思っています(笑)。よろしければ、ぜひ読んでみてください!
今の挑戦と、自分の叶えたい未来の形
自分の取り組みたいことは、会社の中にとどまりません。
会社の外の活動では、プロボノ活動を始めました。もっと地域と連携した実践を積んでみたいと思っていたところに、チームファンタジスタで「地域に根差したプロボノをやっています!」というメンバーの話を聞いて興味が沸き、新たな環境に飛び込んでみました。
参加した100DIVEでは茨城県大子町、ローカルSDGsリーダー研修プログラムmigakibaでは愛媛県大洲市を舞台に、古民家や廃屋の活用をすることで、まちや街並みの再生につながるような事業アイデア提案をしました。
(写真上段:大子町、下段:大洲市にて)
フィールドを変えて挑戦するたびに、まちについてひとつ新たな気づきがありました。
それは、「そのまちに住んでいる人との接点や住んでいる人に喜んでもらえるか」という視点を大事にすることです。住んでいない人の提案では、まちの人から支持されなければ事業の持続性は難しく、現実性のない夢物語になってしまいます。まちを訪れて、歴史や文化などの特徴を理解し、地域課題を捉え、メンバーがどういう関わり方をしたいかを考えました。
「もっと話を伺ってみたい人たちや、歴史や文化を知りたいまちに出会ってしまった!」と心躍り、数々の「まち」の魅力に触れる中で、どうやって継続的に関わっていけるかを考えるのが今の目標です。今後も訪れたいまちが増えたことは、まさにこれからの人生の楽しみだなと感じています。
少しずつ自分が行動を続ける中で見えてきた、自分が叶えたい未来。それは、老後になって自分の好きな物、空間、街、そして人が見つかっていること、一緒に在る、居ること。そして、「そんな人がたくさん周りにいる未来」でした。
その人たちが作り出す物、空間、街のストーリーが知りたくなって、知ればまた行きたくなって、という良いループが起こる「楽しくていきいきとした一生が送れる社会」。
そんな社会の実現を目指して、これからも自分らしく活動を続けていきたいと思います。
宮下 杏子(Miyashita Kyoko)
札幌生まれ、さいたま育ち、阿佐ヶ谷在住。建築を学び、2013年(株)ジェイアール東日本都市開発に入社。主に関東のJR高架下や線路沿線を開発、運営、管理する会社で、商業施設の工事調整担当を経て現在は地域連携の推進に取り組む。お店のようなメゾネットタイプの家に住みながら、丁寧な暮らしと生き方を模索中。金継ぎ教室に通い始めました。
編集:大久保 真衣
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